O様ご訪問

2015年03月05日

■今回は、相模原市中央区で貸倉庫や駐車場等を賃貸されているO様へ訪問させて頂き、お話を伺いました。

69
70

 

actio大矢(以下大矢):O様には変わった屋号があるんですね。

O様:そう。「スミヤ」といって、父とお祖父さんの代に「炭焼き」をやっていて、そういう屋号がついたようだ。当時は作の口に2つ窯があったが、その後昭和23年に養蚕用の需要が無くなって閉鎖した。
昭和49年7月に国道129号線の複線化と陸橋工事の話が始まり、その後自宅は横山に移転したんだよ。

大矢:現在、貸倉庫5棟やコンビニエンスストア敷地、駐車場等賃貸物件をご所有ですが、有効活用を始めたきっかけは何でしたか?

O様:昭和40年代に小町通の敷地に、ある大手企業の関連会社が倉庫を建てて欲しいという話が来たのが最初かな。その後の物件もそうだけど、当時は借りたいという入居者とセットで貸倉庫建築の話が来たんだよ。

大矢:弊社とのお付合いのきっかけは何でしたか?

O様:昭和49年頃に横山に建てた貸工場が、昭和60年に入居テナントが退去した。それで次の借り手を探した際、当時のアクティオの事務所が清新にあって近いという事もあり、アクティオに借りてもらうこととなったんだよ。

大矢:法人化されていますが。

O様:父の代、昭和56年に法人化したんですよ。きっかけは、(貸倉庫オーナー)仲間数人で委託していた共通の税理士を紹介され、税理士の薦めで行ったと聞いている。

71
72

大矢:O様は貸倉庫オーナーの親睦と発展を目的とした「相模倉栄組合(以下倉栄組合)」の活動にご注力されていましたよね。

O様:56才で長年勤務した大手電機メーカーを定年退職した後、倉栄組合の会計を担当した。組合の若手育成や世代交代を促すためにゴルフコンペを始めたのはこの頃だよ。その後、倉栄組合と相模原市農協主体の第二資産管理部会(貸倉庫)を取りまとめる「倉庫組合連絡協議会」が設立され、その会長を務めた。因みに倉栄組合は来年50周年を迎える。7名で始め今は100名弱となったんだよ。

大矢:すばらしい。半世紀ですね。本日はお忙しい中どうも有難うございました。

実は私の父と同じ年のO様。週2回はゴルフに行かれるそうで、その体力と若さには毎回驚かされますが、お体をお大事に今後もお付合いをさせて頂きたいと思います。